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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2014年03月16日

トークバックを観て


そらです。こんにちは。
昨日、坂上香さん制作のドキュメンタリー「トークバック」の試写会に参加してきました。
上映に先立って、坂上さんから制作に至るまでの経緯などのご紹介があり、完成までなんと8年もかかったこと、「日本ではこんなの無理!」という声もあったそうですが、同じ方から「でも、何年後かに日本もこうなるといいね」と言われたとのことで、私もそういう時代が来るといいなと思って聞いていました。

ライファーズでは終身刑受刑者が主役でしたが、今回は、エイズ患者の女性たちでした。
エイズ患者をみているドクターが、「自分の患者たちが亡くなる理由は自殺などエイズ以外の理由が多い。ローデッサが受刑者とやっているプログラム(舞台制作)は私の患者にも有効なのでは?」と考えたのが始まり。
80年代、エイズは「白人のゲイのもの」という固定観念があったけれど、ドラッグの注射器の使い回しやレイプによる感染もあり、つまり、不幸な生い立ちが感染の理由となることがあるようです。
坂上さんは冒頭の説明で、「映画に出てくる彼女たちほどの酷い体験はしていないまでも、彼女たちの思いに共感できる部分があると思う」とのことで、私もまさにそれを期待して観にいったのでした。

語弊があるかもしれませんが面白さ、インパクトでは同じく坂上監督のライファーズが勝ると感じたのですが、彼女たちの舞台そのものは、各種のプロフェッショナルが介在していて、完成度が高く、生で観てみたいと思いました。
そして、何年もエイズであることを周囲に隠して暮らすのが辛かったこと、それを解放した彼女たちの表情が晴れやかだったこと、今でも不安や葛藤、パートナーとの別れなど辛い現実は抱えているけれども、それらとともに生きていく、受け入れる、直視する、それらに振り回されるのでなくそれらと共存することを選択している姿が自分の目指す姿と重なりました。

彼女たちのバックボーンには、必ずしも社会の底辺というようなものばかりでないのですが、やはりそういう方達の割合は高く、ドラッグアディクトしている方が多く出てきます。
ドラッグは辛い現実から逃れるための「杖」のようなものですよね。間違ってはいるけれども。
私は、「魅力的な人にならなければ幸せになれない」というどうしようもない思い込みがあって、今では頭ではまやかしだとわかっているのに捨てられません。
魅力的な自分が素敵な人に愛してもらうことを空想することが、ドラッグアディクトと同じだと思いました。
すでにさりげない中に愛があるのにそれに気付けずに、誇大妄想にリアイリティを感じている。
そして、それを止められない。
彼女たちのように、その思いを表現し、それこそ何度も、失敗を繰り返しながらも向き合っていくうちにいつか昇華できるのかもしれない、とそんなことを思いました。

こうしてまとめると観た価値はとても多かったみたいですね。face01

PS.
鑑賞後、感想や質問などを制作者に伝えるトークバックのコーナーがあり、一瞬私にマイクが回ってくるかも、、と思い、回ってきたら上記のようなことを話そうと必死に言葉をまとめ出したものの、緊張で頭がフリーズし、却って言葉がバラバラに、、、
でも結局マイクが回ってくることはなく、ほっとしたいつもの自分でした。(笑)
それから、説明のところどころ間違いがあったらごめんなさい。^_^;
ほんと、記憶力が悪くて、、、


(ライター そら)  
Posted by ななかまど at 11:44tea time

2014年02月11日

ジェットコースター

前回の記事の前向きな感じから一転、あんな内容を書いて不快に思う人がいるのではないかとか、今日は別件でも気分が落ちているし、とにかく書いたことを一日中後悔し、記事を削除したい欲求にかられています。
今日の自分が、昨日の自分をひどく恥ずかしいと思っているのです。

何度読んでも、真実を書いているので、いいかな、このままで、、と思うのに、数分後にはまた不安がよぎる。

それがACなんですね。
もしかしたら「私も」と思ってくれる人がいるかもしれないから、このままにしようと思う。

これも自分で蒔いた種で、あとで激しく後悔するパターンの一つ。
何か背景にあるのかもしれないけど、今日はもう向き合う気力はない。


ライター そら

PS. 明日はミーティングがあります。ご興味のある方はぜひお越しくださいね。


◼︎ 次回ミーティングのご案内はこちらにあります → こちらをクリック  
Posted by ななかまど at 22:03tea time

2014年02月09日

こだわりを捨てる

私は、時々、不思議なエネルギーに導かれるように、「それをしたら危険だ、あとで大変なことになる」と感じていながら行動してしまうことがあります。
あとで自分が困った立場になったり、酷く悩んだりする状況を引き寄せてしまうのです。
自分でもなぜそうしてしまったのか理由がわからなかったり、その行動の瞬間を覚えていない時すらあります。
その心理はちょっと怖いですが、犯罪者のそれと近いような気がします。
どうしようもないものに突き動かされる、そいう感じ。

その行動が、自分以外の人に影響が及ぶものもあれば、自分だけで「やっちゃった、、」と悔やんでいればいいもの、いろいろありますが、いずれにしろ、間違いを犯したことを認めるのが怖いので自己正当化性を主張します。大概は自分の心の中で済ますことが多いのですが、必死に心で言い訳したり、あれは変じゃないよとつじつま合わせをしているのは、苦しいものです。

でも、それは実はチャンスなのですよね。
理由がはっきりしないんだけど、なぜだかやってしまった、そして心が感情的になっているということがあれば、必ず意味があるはず。
その状況は私に何かを伝えようとして起きているのではないかと思うのです。

例えば、恋愛などにおいて、自分でも嫉妬に気づいているような認めたくないような思いを抱えながら見ないふりをしていると、ふいに相手を試すような、わざと嫌な態度をとってしまったりというようなことってありませんか。
どうして私あんなことしちゃったんだろ、とわかるようなわからないような、考えたくないような。
でも、私悪くない、相手が悪いの。だって、、、

こういう時「間違いを認めるのが怖い」そこまではわかっているのではないかと思います。
では、なぜ怖いのでしょうね。
実際にそういう状況に陥ってしまったら、そういうことを考える余裕がなくて、いつものパターンで行動してしまいます。
落ち着いた頃には、対応に疲れ切って考える余裕がないし、時間が経てば忘れてしまい、そして忘れた頃にまた似た状況を引き寄せる。

で、最近私はやっと気付いたのです。
自分が間違いを認めても自分の価値は変わらないということに。
気付いてしまうと、自然に自己保全欲求は萎んでいきました。
心の中でこれから展開されることを思うと疲れを感じて、無条件降伏する感じでもありました。
こだわりを捨てると楽になれるんですね。face01


ライター そら


PS. 今週水曜日はミーティングがあります。ご興味のある方はぜひお越しくださいね。

※ ちょっと読みにくかったので、一部修正しました。 2014-2-10


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Posted by ななかまど at 23:46tea time

2014年02月08日

自助グループの持つ力

私が自助グループを知ることになったのは、セラピストの方からの紹介でした。
2〜3グループを体験してみて、何となくNACに定着しました。
他がどうというわけでなく、会場の雰囲気や始まる時間帯の問題(私は夜の外出がちょっと苦手みたいで)もあったりして、そして何よりここが一番しっくりくるような気がしたのです。

さて、そのセラピストの先生は、ときどきそうして「自助グループにリファー(勧める)している」とか。集団の中で起こる癒しがあるから、ということなのだそうです。

時々海外ドラマで、アルコール依存症の自助グループの分かち合いシーンを見かけるのですが、どうも存在そのものをからかっているような雰囲気を感じなくもないですが、少なくとも3つのドラマでそういうシーンが出てくるあたり、同じ悩みを持つもの同士の繋がりというシステムはアメリカでは結構馴染んだものなんだなあ、と感じます。

私は、PCをプライベートで使用するようになったのは98年頃だったかな? それからずっと、苦しいとか孤独だとか鬱だとか、そんなキーワードを打ち込み続けていましたが、15年以上出会うことがありませんでした。
先生に教えてもらわなかったら今でもここに居ないかもしれません。

興味があるけれども、自助グループのイメージが湧かない、何をしているかわからないと躊躇の声もあるようです。
私は、鬱でも辛くても不安でも、ずっと良くなりたい!と追及し続けてきたので、知っていればもっと早くに体験していたでしょうが、知っていてもなかなか来られない方がいるとは、新たな発見でした。

最初からお話しなくてもいいんです。全然。
でも、どんなことがシェアされているのか体験することに損はありません。
今まで私が人に話せなかったことを他の人が話してる、まるで私だ、、そういう体験は通い続けているといつか遭遇するのではないかと思います。
そして安心します。
自分だけじゃなかった、というのは大きな癒しになると思います。

私などは、本当に恥ずかしいなと思う体験をシェアしたりするのですが、話してみると、あんなに恥ずかしいと思っていたのに、あれ?そうでもなくなってる、ということがあるのです。
自分の中にこもっている思いの質が変わるのです。重さが変わる感じ。
これも一つの癒し効果なんだと思います。
限定された空間だけかもしれないけれども、このままの自分でいいんだなと、ちょっとずつ他人への信頼感を体感することもあるでしょう。

グループには、働いている人、そうでない人、主婦の方、子供がいらっしゃる方、いない方、若い方からそうでない方(私です)、さまざまな方がいます。
生き辛さを抱える人はさまざまな肩書きを持ちながら、日々、弱さを隠してがんばっています。
隠すことがあるというのはそれだけで辛いものです。
ぜひ、羽根を休める場所を見つけてほしいと思います。


ライター そら

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Posted by ななかまど at 22:32tea time

2014年02月02日

ACの共感力

以前、泣くことの良さをテーマに記事を書いたのですが、自分の癒し、ひいては成長に必要だという意味で、よくテレビや映画を見て泣く、これとはちょっと違っている。

私は以前、小さな子供を幸せそうに連れてあるいている親子連れを見るのが嫌だった。
そして、思い切り甘えている子供に嫉妬していた。
自分を異常だとは思っていなかったけれど、人には受け入れられないだろうと思っていた。
なので人と一緒の時、みんなが泣いているシーンで涙が出たら、ほっとした。自分が人間らしさを持っていたこと、そして、優しいとこあるなと人に評価してもらえるかもしれないことに。

でも、そういう時に出る涙というのは、反射的なもので心から共感しているものじゃない。心から共感していたら、「ああ、泣けて良かった」なんて思わないはず。
で、周りが何かに共感して泣いてるのをみると、
「ああ、幸せな人だな。そして、自分がどんなにか幸せだってことに気づいてないんだろうな。今の素直な自分は1人でそうなったわけじゃないけど、そういう恩恵は当たり前すぎてわかってないんだろうな」
勝手な想像だけれどもそう思っている。
それが悪いというわけじゃなくて、そうではなかった人の心に与えるインパクトなどやはり経験しないとわからないことなのだ。
私だって、なぜみんないつもそんなに気持ちが安定しているの?楽しそうなの?まったく見当がつかないのだから。

でも、たぶん、私の心が安定して共感力が高まった時には、たくさんのセラピーやカウンセリングに取り組んだこと、NACでの分かち合い、ネット上での出会いなど、すべてのことに感謝できるんじゃないかと思う。
与えられるのが当たり前な環境で培ったものじゃなくて、自分で探して時間をかけてきたから。
早くそうなるといいな。icon12


ライター そら  
Posted by ななかまど at 21:51tea time

2014年02月01日

ホロスコープ

先日、ホロスコープ鑑定を受けてみた。
鑑定する方は自らがアダルトチルドレンであった方。

生き辛さを抱えていると、将来に明るい展望を見出したいから、占い好きな人は多いんじゃないかと思う。
私は占いの類いには随分裏切られてきたような気がしたし、ただ気休めだったような、酷いのは気休めにすらならなかった単なる言葉の羅列だけだったような気がして、やめた。

珍しいのはクライアントをアダルトチルドレンに絞っているところ(ACの定義に寄らずとも生き辛さを抱えていればもちろんOK)。ACじゃなくても結構ですが、、とのことだけれども、ACの助けになりたい、そんな気持ちが伺えたので、受けてみた。

ホロスコープには、誕生日のほか産まれた時間が必要とのこと。
私の家には母子手帳が無かったのでわからない。それが大事にとってあれば、そこからでも母の愛を感じられたかもしれないけど。
でも、産まれた時間は経験した出来事から割り出すことが出来るという。

鑑定結果には、ここ数年にこんなことがありませんでしたか?といったものが含まれていたのだけれども、それが実によく当たっていた。
○○年○月から責任のある仕事を任されたりキツくなったり、人間関係が辛く職場が居心地悪くなったのでは?と言った具合に。

そして、セスクアドレイトという「このままではいけない」ということを意味する自己変革を促すアスペクトが2012年9月あたりから入っていて昨年2月にタイトになったとのことだったのですが、ぴったり思い当たる節があった。
この時の出来事は、辛くてミーティングでも分かち合いさせていただいたのでよく覚えている。

過去に起きたことは当たっている。
じゃあ、私はどうやっていけばいいのでしょう、私には自己変革をしていく気力なんてないんです、そう聞いてみた。すると、

「天体意識はそらさんの心の中にあって、いつもいつもその存在に気づいてほしいと思っています。そらさんにその存在を意識し活用してほしくて、あらゆる現象を起こしながら主張しているわけなのです」

とても腑に落ちる説明だった。
ここ数年、これでもか、これでもかと言わんばかりに自分に処理しきれないことが起きていた。
辛かったから、その都度、自分を正当化して、相手を批判して凌いでいた。

だって私の言っていることは正しいでしょう?
正しいんだけれども? だから、何?
仕事が出来ない人に言われたくない!

だけど、、、
最近起きている出来事で、私はついに白旗を上げた。

ごめんなさい。
私は自分で思っていたほど出来る人間じゃなかった。
出来ない人の気持ちも解らなかった。
出来ないと認めることが怖かったんです。
これからは、私の能力でも穏やかな気持ちで出来る仕事をさせてください。

素直になるっていうのはこういうことなんだと思う。
逆らわない。出来事にも、自分の気持ちにも。

これは、何度かの鑑定メールのやり取りで気づかされたことだけれども、残念ながらこの気付きが常に持続するわけじゃない。
気付いたら誰かの悪口を心の中で言っていたりする。
肩こりが一度のマッサージで楽になっても、姿勢の癖でまた凝ってしまうのと同じだ。
だから、こうして書いて出来るだけ自分に定着させようと思った。


ACのための鑑定、ご興味がある方はこちらをどうぞ。
私はまたお願いしてみたいと思ってます。icon85

アダルトチルドレンのための溜まり場


ライター そら  
Posted by ななかまど at 22:29tea time

2014年02月01日

ある日のメモより

iPadに書き溜めている昨年初秋のある日のメモより。

「幼少期に何が起きて私は人生の大半をこんな風に無為に過ごすことになったのか、今だにわかりません。
そういう精神を何とかするためのメソッドや教訓は山ほどありますが、お風呂に入る気力すらないのに、どうして自分で自分を立て直して行くことができるでしょうか。」


小さな子供の心のままで大人社会を生き抜いていくのは辛い。日常はストレスがいっぱいだ。
私がああ言ったらあの人はあんな顔をした、嫌われているに違いない、、など、妄想の類いまでリアルに創造してしまう。目に入るもの、聞こえるもの全てがストレス源となり得る。
雪が降り積もるように日々のストレスが元々の傷を覆い隠してゆく。

傷はケアされなければそこに存在し続け、不安定な気持ちというサインでメッセージを送り続ける。
でも、ストレスが被さると傷や心から欲しがっていた望みがあることに気づきにくくなってしまう。

私は何に傷ついたのか。
私はどうしてほしかったのか。
私はどう感じていたのか。

頭で「私はこういう経験をした」と記憶していることとは全然違うように思う。
どんな感情を押し殺してきたのかに気づくことが重要だ。
その感情に故意にアクセスしようとしても難しい。なぜなら、自ら押し殺したのだから。

ストレスの下に潜んでいる感情は、多くは幼い頃に起きたものだろうから、

欲しい、とか
怖い、とか
行かないで、とか
笑って、とか

そんな単純な言葉で現れてくるんじゃないかな。
その短い1つの言葉がぽんっと出れば、強い感情が湧き出てくると思う。
あとはそれをただ、そうだったんだ、そうだったんだね、と受け止めればいい。そして、いっぱい泣けばいい。
その時の涙は、訳もわからず不安で夜通し泣く孤独な涙とは違う。
なぜなら、自分が自分に向き合っているから。1人なんだけど孤独じゃない。そんな涙になると思う。

まずは、日々のストレスから出来るだけ自分を守り、静養し、喜びを感じて、少しずつ雪を溶かしていくことだ。
そうすれば、必ず向こうからやってきてくれる。
それしか手立てはないんじゃないかな。
いろいろ能動的に傷にアクセスしようと躍起になっていたけど、最近、そういう受動的なことが大事なんじゃないか、そう感じたりしている。face01


ライター そら  
Posted by ななかまど at 20:49tea time

2014年01月26日

パンダちゃん、そして自助グループの話

昨日のミーティング前、化粧品を買いに行き、ウォータープルーフのアイラインを購入。
美容部員さんにラインを入れてもらって、鏡を見たら、ん?ちょっと太いかな?と思ったものの、まあいいや、あ、そろそろミーティングに行かなきゃ!と急いで会場に向かいました。
トイレが近い私が珍しくミーティング前後、一度もトイレに行かず、帰りはデパ地下をうろうろしてから帰宅。そして、びっくり!!

お目々のふちが、まるで幽霊メイク。
またはパンクロッカー。
もしくはパリコレ崩れ。
なんかこの顔、面白すぎる!!
あぁぁ〜、私、この顔でミーティングに出てたの?!face07

みんな言いたくても言えなかったことでしょう。
そんな間抜けな自分ですが、まあ良しとしよう。(笑)

さて、、、
私は、雑談が超苦手ですが、ミーティング仲間だとそのへんは安心して接することが出来るのですね。会話が苦手な人ばかりではないですが、まあそういう方も少なくはないでしょうしということで。
なので、そこで皆さんと雑談するのは結構好きなんです。
そして楽しいんです。

でもね、そういう集まりでもなかなかそういう輪の中に入ってこれない方もいるかもしれないななんて思ったんですよね。
年代の差とか、まだ参加回数が浅いとか、そもそも人付き合いが苦手、などなどいろいろあると思います。
だけど、そういうところで気後れして来ないんだとしたら勿体無いな、って思うんですよね。

2週間に一度、ほんの数時間だけしか会わない仲間ですし、風邪を引いたりよ用事があったりですれ違うこともあり、そんな仲間に会えると嬉しくて、ついついおしゃべりに夢中になったりする。
そういうのって、人と話すのが苦手な人(私もその1人)から見ると、やっと見つけた自分の居場所で疎外感を感じちゃうかも、、、なんて思ったりして。

すべて私の勝手な想像ですが、可能性としてゼロではないですよね。
だから先に言っておきます。
いつもの自分の決めつけに騙されずに、NACを上手に利用してくださいね、と。
ちょっとずつ安全性を確かめて、自分の居場所を見出して欲しいです。


ライター そら  
Posted by ななかまど at 20:24tea time

2014年01月17日

自助グループで風穴を

先日書いた記事、あとから読み返すと「ちょっと感情出し過ぎたかな」と思って軽く恥ずかしさを覚えたりしている。
修正したい気持ちにもなったけど、そういうこともありのまま書いてみようと思った。
書いた時は、自分のためというよりも、NACの中の様子を感じて1人でも1度行ってみようかな、という気持ちになってくれたらいいな、という思いだった。
1記事のページビュー数が100にも満たないので、必要な人の目に触れるチャンスはかなり少ないだろう。

私自身、自助グループというものを知ったのは通っているセラピストの先生からの紹介だった。
「私のように社会に紛れ込んで一見、普通そうに見えて、実は他人の目をこんなに気にして、自分が大嫌いで、こんなに不安で、こんなに苦しんでいる人って本当にいるんですか?」
そんな質問をしたら、
「いますよ、いっぱい。一度、そういう集まりに行ってみたら?」
と言われて来たのが参加の始まり。

ここに来て思ったのは、いつもクヨクヨしていたり、辛い気分でいることが決して珍しいことではないということ。
何か問題があって悩んでいるのでなく、何もないのに辛い。もしかしたら、恵まれているのかもしれない。でも、人生全体が灰色にしか見えない。
いつも甘えや考え過ぎ程度にしか受け止めてもらえなかったから、ネガティブな感情に蓋をして、演じて生きるしか方法を知らなかった。
いつまでも変わらない自分にあいそうをつかれるのが怖かったから。

でも、ここに来て、少しずつ正直でいることを学んだ。というより身体で覚えていった。
1ヶ月のうちのたった2回しかないけれども、1年で24回にもなる。
ゼロだった時と比べれば、着実に何かが積み上がると思っている。


ライター そら  

Posted by ななかまど at 23:46tea time

2012年08月16日

オリンピック終わって

オリンピックが終わっても、毎日メダリストがニュースに登場していて、自分の中でも、ふと感動したシーンや映像、華やかな閉会式の様子がよみがえったりしています。


今回のオリンピック、日本選手は特に女性アスリートの活躍が目立っていたと思いました。

女性選手や女子チームの活躍のニュースを見ながら、ふと、今は監督はほとんどは男性なんだけど、何年か後には、横に女性監督がいることになるんだろうな、と自分の中で妙に想像できて、そうか、社会は変化しているんだなあと納得したりしていました。

それから、今まであまりなじみのなかったスポーツでの活躍で、(へー、このスポーツにはこんな選手がいるのねー。 えー、こんなルールなんだ、 →特にレスリングでのボールピックアップとか、同点の場合には後から点数をとった方がそのゲームの勝利者になるとか、びっくりでした)、少し世界が広がった気がしていました。

子ども時代からスポーツは苦手(足が遅かったことと、球技がとくにダメ)で、するのもやるのも興味が持てなかった、というか避けていたのですが、うーん、我ながら人は変わるものですね。

いくつになっても成長ってものなのかしら。

幹線道路から離れ、車を止めて時間つぶししていたら、車の横の松の木でリスがマツボックリを抱えて食事を始めました。


  
Posted by ななかまど at 21:56Comments(0)tea time

2012年06月08日

きもち



先週末あるトレーニングに参加したことで、今まで自分の中で「怒り」を感じていた出来事で、実は「怒り」の奧に「悲しみ」や「寂しさ」といった別の気持ちも感じていたこと、さらに「希望」や「願い」もその奥にある事に初めて気がつきました。

表面的には「怒り」という一つの感情しか見えていなかったのに、実はいくつもの感情を感じていたと実感出来たことに、とても驚きました。

とは言っても、それまでもいくつもの感情を持つ、ということ、アタマでは分かっていたんですが。

アタマでわかっていたことが自分の実感としてわかったこと、とても大きな変化です。

ただ、その出来事にいろいろな気持ちを持っていることが表面化して、気持ちがざわざわして落ち着かなくもなっています。

うーん。

でも、こうやって自分のなかにたくさんの気持ちがあるってわかることは回復ですね。

一つの感情どころか、最初は自分自身の気持ちが全くがわからなかった、そんな時期もあったわけだし。

だから、このざわざわする自分自身に、(そのままでいいよ)って言ってあげようと思います。



菜の花が満開です。今年は冬の大雪のせいか、花が遅いようです。




  
Posted by ななかまど at 22:40Comments(1)tea time

2012年05月08日

繋がり

icon38

GW、青森県に行った。

行き函館からフェリーに乗ったのだが、道内では晴れたり曇ったりだったのに、函館でとうとう雨に捕まり、その後ずっと青森では雨が降ったり止んだりのお天気icon03

思っているより寒い。

桜は満開をすぎ雨に当たり寒そう、でもとてもきれいだったicon62


こどもの日の5日、青森で仲間と会った。

彼女は3年前、苫小牧に着く夜行フェリーで札幌のミーティングに通っていた。

自助ミーティングではアノニミティー(匿名性)を大切にするので、参加者の本名やどこから参加しているかなどを聞くことはないので、しばらくそのことは知らなかった。

数回の参加の後、東北から参加していると聞いたときの、驚きと感謝の気持ちを今あらためて思い出す。


バス停で待っていてくれた彼女と落ち合い、港に面したA-ファクトリーでランチをしながら3年ぶりにおしゃべり。

札幌に集う仲間が1週間前のミーティングで寄せ書きしたカードを手渡したicon84

そして彼女は今月26日のフェスタのためにと、1枚1枚違う言葉を手書きしたアファメーションカードを用意してくれていたicon38



なんて温かいんだろうicon06


さすがに寒くてあまり外を歩く元気はなく、開けー度外に入り青森の有名な工藤パンの喫茶店の2階でいろいろとおしゃべりをした。

アーケード街、角の2階のこの場所は「ねぶた」を見るにはベストポイント。

8月の熱気溢れる「ねぶた」、一度は見なくちゃねface02

札幌でミーティングをしていた仲間と青森で出会える不思議をしみじみ感じながら帰り道についた。


人と人が繋がること、それが喜び。

でも、そんなあたりまえの事をわかるまで随分掛かったな。

26日の「NAC札幌フェスタ2012」でも、繋がりが育ち生まれますようにface01













  
Posted by ななかまど at 00:27Comments(0)tea time

2012年04月19日

どこに手をつけるか

4月最初の週末なので、随分前になってしまうのですが、アサーティブトレーニング(アサーティブジャパンの講座)に参加しました。


去年も同じトレーニングに参加しているので、2回目の参加でした。

その中で、このトレーニングでは、自分たちがとっている行動や態度に働きかけることで自己信頼を育てるという話がありました。

去年も同じ話を聴いているのですが、今回はなぜかそれがとても響きました。


そうだよね、どんなことでも問題が大きかったり絡まってると、どこに手をつければいいか訳がわからなくなってしまう。

だから、どこに働きかけるのかってことがわかっていることは大切。

それに、自分はダメだ、自分は出来ない、という思いを変えることは難しい。

変えやすいところから手をつけてみるのは大事よねとか。


それから実際にロールプレイをしてみると、アタマでは分かっている、出来てるはずと思っているところがそうでないことがわかったりもしました。
(実際にやろうとしても体が抵抗したり。始めて参加した去年は、体が動かないって本当にあるんだと思った)


トレーニングというのは、考え方を変えるだけではなく、身についたパターンを実践の中で外していくことでもあるようです。

もちろん、それはその時知った今までとは違う新しいやりかたを、その後自分生活の中で実際にやっていく中で、本当に身につくということですけれど。


少しずつ、変えられるものを変えていかれればいいと思います。


  
Posted by ななかまど at 16:30Comments(1)tea time

2012年03月13日

謙虚さ

人間には身体、知的、精神の波が周期的に来るというバイオリズムという言葉がある。

それが本当かどうかはわからないけれど、1年を通してみると毎年同じ時期に調子を崩すことが多いというのはあると思う。

ACの中では原家族や親戚と会ったりする年末年始に崩しやすい人が多い。

私自身は年末よりも3月に精神的に調子が悪くなる。

何かと変化のある時期なのでどうしても不安定になってしまうのだと思う。

身体的にも崩れやすいし、精神的にも落ち着かなくなり、何よりも気持ち的にこもってきて人との関わりを避けていく傾向が強くなってくる。


そんな話をしていたら、ある人から、20年以上も回復を歩んでいる先行く方が、「この時期は自分は調子が悪いから」といいミーティングやプログラムに積極的に参加される、という話を聴いた。

自分が調子が悪いことを認めて足を運び、さらにそれを開示する、その謙虚さに心がうたれる。

回復は完璧になることではなく、自分自身のありのままを認めて開いていくことなんだなあ。



  
Posted by ななかまど at 21:24Comments(1)tea time

2012年02月06日

行動する

久しぶりに最高気温がプラスになって午前中は青空も見えていたけれど、少し前から羽のような雪が降り始めている。

先月ミーティングの時に、集まった仲間たちで話をしていて、「雪は少ないけれど数日前の朝はマイナス23度まで下がった」とか「雪で道路の脇が壁になっているよ」とか「北海道生まれだけど未だダイヤモンドダストは見たことない」とか、いろいろな声が出ていた。
NAC札幌の会場のエルプラザが札幌駅から直結で行かれることもあって、札幌市内だけではなく市外からミーティングに参加する仲間も多い。
冬になると雪が降って交通が乱れるのではないか、みんながミーティングに参加できるかな、などの気がかりが増えたりで、その距離を実感することが多い。

でも、たとえ会場がすぐ近くだったとしても、ミーティングのために用意して家を出て会場へ向かう、それが自分自身の回復の大事な行動だということ。
面倒くさいな、億劫だなと思っても行動することを選択する。
それは、北海道でも本州、沖縄でも、海外でも変わらない真実。

今もどこかで自分の回復のために自助ミーティングに向かう人がいるのかもしれない。


  
Posted by ななかまど at 14:29Comments(0)tea time

2012年01月11日

小さい自分



久しぶりに生まれ育った家族の中や子供時代の人間関係の中に入ると、子供の頃の自分に無意識のうちに戻ってしまう人は多いと思う。

お盆とかお正月という家族や親戚が集まる時期は特にそれが明らかになる時期だけど、ACにとってはそれこそ苦しかった子供時代の人間関係の中に入ることになるからきついし揺れるしスリップの危険もある時期。
法事なんかもそうでしょう。
何年も会わなかった親戚が集まったりするので。

どうもこの頃自分が落ち着かない気が重い。
実はこの週末法事がある。
「優等生」と「お世話焼き」と演じてきた子供時代の自分。
それは嫌だった、じゃあ真逆の行動をとればいいんじゃないの?という白黒思考も湧いてきて、それはそれでいいとも思えないし。

でもまあ、よく考えてみれば叔父も叔母も母もみんなもう80前後の高齢者なんだ。
私がいつもうかがう利用者さん達と変わらない年齢。
今、こころの中で不安になっているのは子供の頃の私自身なんだなあ。
そうだね。まず第一にこころの中の小さな自分を見てあげようか。

************
不安や恐れがあるときは、自分のこころも体も固く縮こまっている感じがする。
それを自覚してゆるめる為にはいろいろな方法、楽しむ、笑うetcがあるけれど、出かけた先で出会う自然もこころを広げてくれる。
ひどく冷え込んだ一昨日の朝、空気中の水分が木々にびっしり氷の花を咲かせていた。
仕事に行きがけに思わず写真を撮って、また車に乗り込んだときに急にその氷が光の花びらのように降りそそいできた。






  
Posted by ななかまど at 23:46Comments(1)tea time

2012年01月04日

2012 明けましておめでとうございます

あけましておめでとうございますface02


今年の年末年始の北海道はそれほどの雪も降らずに、数年ぶりに雪の心配をしなくてすんだ穏やかなお正月でした。
昨日あたりから気温は下がり、今朝は窓の外にダイヤモンドダストがicon12
寒さはこれからが本番です。


私の母の親戚は子供の頃から、お正月の1月2日は必ず祖父母の家に親戚が集まっていました。
今も2日になると親戚が集まっています。
子供時代は祖父母や叔父叔母からお年玉がもらえたり、普段はなかなか会えないいとこ達と遊ぶなど楽しみでした。
成長するにつれ、だんだんとそこに行くのが負担になってきていました。
その頃はそれがどうしてなのかはっきりとはわからなかったし、もちろん言葉にすることも出来なかったのです。
大人になってからも、2日は集まるもの、いけるのであれば参加するものと思っていました。
自分がACだと自覚するようになり、原家族の問題に気がつくようになって、何が起こっていたのかを理解するようになって、自分から距離を置くようになりました。

母の兄弟姉妹の年が近いこともあり、親戚が集まるとき、いつもどこか、家族同士や同じような年齢のいとこ達の間で、お互いが比べられているという感覚を感じていたと思います。
親(母の代から見れば家長)がどんな仕事をしているのか、経済的なこと、(私やいとこたち、親から見れば子供の)勉強、スポーツ、通っている学校、気働き、いつも比較の中で、出来ているー出来ていない、というシーソーにのっていたと思います。
それは、最初は親や親戚という大人からの視線や価値観ですが、知らず知らずの間に自分自身の中にその価値観を取り込んでいました。
今書いていても、親の価値観と自分自身の価値観をきちんとわけることがかなり難しいです。
自分の話を書いていたはずが、途中から無意識に母親サイドからの書き方にシフトしまいそうです。

比較というシーソーに乗っているのは、上がっていても下がっていても落ち着かなくていつも不安な感じです。

今は言葉にすることが出来て、自分に起きていたことがわかります。
それが苦しかっただろうということもface11


2012年もNAC札幌はありのままの自分でいられる場所としてミーティングを開いていきたいと思います。
今年さいしょのミーティングは1月28日ですicon38




  
Posted by ななかまど at 09:45Comments(1)tea time

2011年12月31日

大晦日

今年も今日で終わり。
今年ほど1年がなんでもなく終わることに感慨をおぼえる年もないかもしれません。

3月11日以降、しばらくご無沙汰でいた人と連絡を取りあったり、繋がりを深めたり、そんなことも多かったように感じます。

距離はあっても震災や津波、放射能のことをメディアから見聞きする中で精神的に不安定になったり体にも不調がでたりとストレスを実感しもしました。

そんな中でミーティングやネットでの仲間との支え合いの場がこれほどありがたいと感じたこともなかった気がします。
回復は自分一人の世界を広げていくことでもあると思います。
その中で繋がったり別れたり、様々な人との関わりがあり、一つ一つがかけがえのないもの。

NAC札幌は仲間が変わったりしながらも、今年1年も12回のミーティングを無事に開くことが出来ました。
新しい仲間、しばらく会っていない仲間、いろいろな顔が思い浮かびます。

一人一人が今いい時を過ごせていますように。
新しい年が豊かなものになりますように。

  
Posted by ななかまど at 17:06Comments(1)tea time

2011年10月20日

こころを点検



日一日と紅葉が進んでいくのがわかる。
2,3日前はそうでもなかったところが、今日通りかかるとハッとするほど鮮やかに色づいていたりする。
数日前から雪虫が飛び始めている。

気がつくと、去年一昨年のこの時期は、変わっていく秋の景色屋北海道ならではの風景をブログにこまめに載せていた。
でも、今年はそれが出来なかった。
実際写真を撮ること自体がまれになっていた。


3.11から半年以上たった。
でも今も、被災地や被災者の状況、放射能汚染の問題、直接そこにいなくてもこころのキャパシティーを超えていて、そんな中でこころは思っている以上に摩耗しているのだろう。
去年と同じ風景にもこころが充分動かなかったり、無意識にブロックをかけていたのかもしれない。
それと同時にあるのが、たとえ、きれいだなあ、楽しいなあと感じても、(こんな時に)と、それを表現することにためらう思い、表現していいのかという思い。
楽しむことや心地よさを表現することへの罪悪感。
それに気がついたのは最近。

そして思った。
今、子どもをサポートするいろいろな活動が行われていて、例えば夏や冬といった長い休みの時期に福島の子どもたちが思い切り外で楽しめるためのキャンプが北海道を含めいろいろな地域で進んでいる。
そう、本当に子どもたちに楽し時間を過ごしてもらいたい。
でも、大人が楽しいと感じられることも忘れてはいけないんじゃないかって。

話は飛ぶけど、わたしの子ども時代、親が自分の人生を生きていてくれたら、親が人生を楽しんでいてくれたら、子どもだった私はずっと楽だったろう。
楽しむことを優先できただろう。
子供でいられただろう。
だから、たぶん今大人が楽しめること、大人が快さを表現できることが、次の世代にも繋がっていくということじゃないかなあ。

そんな難しいことは考えなくてもいいけど、楽しむことを恐れたり否定しないでいよう。

それからこころが疲れている時はどうしても、自分の内側にこもったり、逆に感じないように必要以上に忙しくしてしまいがちになるんだよね。
そんなときこそ、ゆっくり自分のこころを休めたり、点検したりしてあげようね。
1人でゆったりした時間を過ごしたり、安心できる人たちと一緒に感じることを話したり聴いたり。

土曜日はNAC札幌のミーティング。
良い時間が過ごせますように。

それから、次の週末の伊達ワークショップも、こころをゆるめ楽しい時間を過ごすのにおすすめです。
→ http://fuzzyras.exblog.jp/16283204/

  
Posted by ななかまど at 22:00Comments(1)tea time

2011年09月04日

アレクサンダー・テクニーク

台風12号の影響で、北海道でも被害がでたり交通機関が普通や遅延になったり、天気も大雨や急に暑くなったりという週末でした。

昨日今日は札幌で石井ゆり子先生指導でのアレクサンダー・テクニークのワークショップを受けました。

アレクサンダー・テクニークに関しては
 
http://www.littlesounds.com/ 

の石井ゆり子氏のHpに詳しく載っていますのでぜひご覧下さい。

カラダの構造や使い方を学び、参加者の問題になっていることに関し、その場でハンズオンにより教えていただきます。
今まで意識したことの無かったカラダの使い方や癖に気がつくことが出来ます。

私はずっとメンタルな問題については学んだりしてきましたが、カラダのことは後回しにしているのかもしれないと思い始めたのはここ最近のことでした。
その頃、あるきっかけでアレクサンダー・テクニークのさわりに触れ、興味を持ったところ、すぐ後にワークショップが札幌であり参加したのが6月で、今回は2回目の参加となります。

カラダとこころは繋がっていて、こころが苦しいときはカラダもきついし、逆もまたその通りです。
どちらか一方だけの回復はありえないのかもしれません。



  
Posted by ななかまど at 23:05Comments(1)tea time